地政学分析 · 2026年3月
シミュレーション20年が
警告する罠
シカゴ大学のロバート・ペイプ教授は、20年間にわたりイランとの軍事衝突をシミュレートしてきた。その知見が今、現実として動き出している。爆撃は戦術的に成功しても、核物質の行方は不明のままだ。
ロバート・ペイプとは何者か
シカゴ大学政治学部教授のロバート・ペイプ氏は、航空戦力論・国際テロリズム・政治的暴力を40年にわたり研究してきた。湾岸戦争直後から米空軍のカリキュラム構築に携わり、2001年から2024年にかけて歴代の大統領政権に安全保障政策を助言してきた。著書『ダイイング・トゥ・ウィン』(自爆テロの戦略的論理)は安全保障研究の古典的名著として知られる。イランとの軍事衝突については、毎年20年間にわたりシミュレーション演習を実施してきた。
ペイプ教授の核心的主張
爆弾は標的を破壊するが、政治を変える
精密誘導爆弾が建物を90%以上の確率で破壊できる時代でも、戦争の本質は軍事力ではなく政治だ。爆撃が始まった瞬間、攻撃側と攻撃対象側の双方で政治力学が変化し始め、それがエスカレーション・トラップの入り口となる。
エスカレーション・トラップの3段階構造
ペイプ教授が20年のシミュレーションから導いた「スマートボム・トラップ」の構造。イランは現在、段階1から段階2への移行を完了し、段階3に向けた圧力が高まっている。
段階1:精密爆撃
2025年6月、米軍がナタンズ・フォルドウ等の核施設をB-2ステルス爆撃機で攻撃。建物の破壊には成功(戦術的成功)。しかし濃縮ウランの所在は不明のまま(戦略的失敗)。イランは3,000人以上のイスラエル人を負傷させる報復攻撃。
段階2:体制変換
2026年2月、米国とイスラエルがハメネイ最高指導者を殺害。しかし体制は崩壊せず、より強硬な息子が後継者に就任。同時にイランは「水平的エスカレーション」を開始——サウジアラビア・UAE・クウェートのエネルギー施設にドローンで攻撃し、米軍のアラブ圏基盤を崩そうとしている。
段階3:地上部隊投入(75%の確率)
核物質の所在が依然不明のため、米国は地上部隊を送り込んで直接捜索に乗り出す可能性が高い。段階3への移行は今週ではなく、数週間から数ヶ月後かもしれないが、ペイプ教授は「75%以上の確率で地上部隊投入に至る」と予測している。
核物質問題:最大の未解決事項
ペイプ教授が最も深刻に警告するのは、イランが保有する濃縮ウランの所在不明問題だ。2025年5月時点のシミュレーションでも、爆撃後に核物質の場所を特定できなかった。
⚠️ 問題の核心: イランは核施設が爆撃される2日前に衛星写真で確認できるほど大量のトラックで物資を搬出していた。核物質はすでに移動された可能性が高い。
📦 物質の形状: 濃縮ウランは大型スキューバボンベに似た容器で保管できる。トラック1台で輸送可能なため、イラン全土どこにでも隠せる。
ウラン濃縮度:低濃縮(民生用)
5%
民間原子力発電用(危険性低)
ウラン濃縮度:中程度濃縮
20%
医療・研究用。核爆弾製造には不十分
ウラン濃縮度:高濃縮(イラン現在)
60%
核爆弾製造まであと一歩。科学者の能力次第では十分な濃縮度とも
ウラン濃縮度:兵器級(核爆弾製造可能)
90%
核爆弾製造が確実に可能な水準
「ジェンガ型」vs「マトリクス型」体制の誤解
多くの政策立案者はイランの体制を「ジェンガのように、核心ノードを除去すれば崩壊する」と思い込んでいる。しかしペイプ教授は、これは根本的な誤りだと指摘する。
最高指導者・核施設・ミサイル指揮という数個のノードを取り除けば体制全体が崩壊する、という想定。一文字か一文の情報で知識を仕入れた政策立案者に多い誤解。
革命体制は第一次世界大戦以前から本質的に適応型に設計されている。ノードが除去されても他のノードが穴を埋め、場合によってはより強硬な人物が台頭する。ハメネイ師暗殺後、より攻撃的な息子が後継者になったのはその典型例。
最高指導者暗殺が生んだ逆効果
最高指導者の死がもたらした最大の皮肉は、核抑制の「歯止め」を取り除いてしまったことだ。
旧最高指導者(故人)
「核兵器はイスラムに反する」とする宗教令(ファトワ)を2度発令
タカ派とハト派のバランスを保つ調整役
オバマ核合意にも最終的に同意した実用主義者
新最高指導者(息子)
核兵器禁止のファトワを未発令
革命防衛隊の強硬派と深い結びつき
抗議者弾圧を指揮した強硬路線の実績
「父を殺された」報復の動機と、強さを証明するプレッシャー
📌 ペイプ教授の見立て:最高指導者を暗殺したことで、米国は核兵器開発への「最後の歯止め」を取り除いてしまった。新指導者はイランが核を持つ最大の動機となっている——なぜなら、核を持たない国が攻撃される光景を目の当たりにしたからだ。
水平的エスカレーション:連合を崩す戦略
段階2においてイランは「垂直的」(規模を拡大して直接攻撃)ではなく「水平的」(攻撃対象を横に広げる)エスカレーションを選択した。その狙いは、対イラン連合の内部から崩すことにある。
サウジアラビア、UAE、クウェートなどの空港・ホテル・エネルギー施設にドローンで攻撃。これらの国のGDPの5〜10%を占める観光業・エネルギー産業を脅かし、「米軍を国外に追い出せ」という国内圧力を高める狙い。
世界の原油供給の約2割が通過するホルムズ海峡を事実上封鎖。タンカー1隻がドローン攻撃を受けただけで、他の船員たちは通過を拒否し始めた。原油価格の上昇はエネルギーを輸入に頼る米国内の物価を押し上げ、トランプ政権の政治的圧力となる。
ロシアがイランに精密なターゲット情報を提供していることが確認されている。米国がウクライナに対してロシア軍の標的情報を提供しているのと全く同じ構図だ。これにより、イランのドローンの命中精度が大幅に向上している。
湾岸諸国の指導者層は米国・イスラエル側を支持していても、国民はそれを必ずしも支持していない。イランによる攻撃が続くことで底上げ圧力が生じ、指導者が政治的リスクを冒してでも米国支持を続けることが困難になっていく。
段階3:地上部隊投入のシナリオ
75%の確率
ペイプ教授の予測:核物質の所在が不明のまま状況が続けば、米国は地上部隊をフォルドウ周辺などに限定展開し、直接捜索に乗り出す可能性が4分の3を超える。ただしこれは今週ではなく、数ヶ月後かもしれない。エスカレーションは断続的で、「平和」に見える停止期間の後に突然再開する「ラチェット効果」を持つ。
地上部隊投入が意味すること
地上部隊の投入は「核物質を見つければ終わり」を意味しない。ペイプ教授はベトナムや湾岸後のイラクを引き合いに、地上作戦開始後の現実を詳述している。
💡 なぜ地上部隊でも核物質は見つからないのか:核施設周辺の坑道への入り口は既に爆撃で崩されており、捜索には数週間から数ヶ月かかる。その間、イランは別の場所で核物質を再濃縮できる可能性がある。イラクでのWMD捜索(2003年)がそのまま繰り返される。
🌐 自爆攻撃の現実的リスク: ISIS(最大4万人の組織)は非国家テロ組織でありながら、サンバーナーディーノやパリを含む世界各地で自爆・テロ攻撃を組織した。イランは9,200万人が暮らす主権国家だ。米軍の地上展開が長期化すれば、世界規模の反撃が現実の選択肢として浮上する。
イランが目指す「北朝鮮戦略」
なぜイランは核爆弾16発分の材料を持ちながら、すぐに一発を完成させて使用しないのか。ペイプ教授はその戦略的論理を解説する。
北朝鮮が「成功した」モデル
- 複数の爆弾を同時並行で開発し、一発が失敗しても次がある状態を作る
- 最初の核実験は「山の中」で実施し、挑発を最小化
- 2発目の実験で「さらに保有している」ことを示す
- 現在、北朝鮮は約60発の核爆弾を保有——指導者暗殺は現実的選択肢でなくなった
教訓:ウクライナの後悔
- ウクライナは1990年代に核兵器を放棄——現在多くの人がそれを後悔している
- イラン国民の視点では「核を持たない国が攻撃される」という現実が目の前にある
- 核保有は「生存戦略」であり、「100%の安全」という幻想を求める行動ではない
- 米軍の爆撃そのものが、核開発への最大のインセンティブになってしまっている
トランプ大統領が直面する「ホッブズ的選択」
ペイプ教授によれば、トランプ大統領は二択を迫られており、どちらを選んでも政治的損失が伴う。
選択肢1:今すぐ撤退
損失は今すぐだが、限定的
爆撃キャンペーン停止+空母を地域外へ移動させることが「本物の停戦」の条件
「弱腰」と見られる政治的打撃
選択肢2:倍賭け継続
トランプ氏の得意なカオスの中での生存
中間選挙(2026年)までに出口なしに陥るリスク
ジョンソン大統領がベトナムで犯した「永遠の戦争」の轍を踏む
精密誘導弾薬の消耗が台湾防衛能力を損なう
💡 ペイプ教授のアドバイス(トランプ氏へ):「今すぐ交渉に戻れ。爆撃開始前日に棄てた合意を取り戻すことが最優先だ。オバマ合意よりも良い条件でさえあった案を自ら捨てたことを忘れるな。60%濃縮ウランを国外に出すことが最低限の目標だ。」
中国・ロシアが「静かに喜ぶ」理由
中東での消耗は米国の戦略的競合相手にとって純利益に近い構図だとペイプ教授は説明する。
中国の計算
ペイプ教授は2025年6月に2週間かけて中国の先端産業を視察した。武漢はAI・ロボット産業のシリコンバレーへと変貌し、900万人規模の都市を丸ごとアップグレードしている。米国がイランという「中東の泥沼」にはまり込む間、中国は次の技術革命を着実に進めている。中国にとって米国の中東への過剰コミットは「天の恵み」だ。
ロシアの計算
ロシアはイランへの標的情報提供を通じて、ウクライナへの米国の関心を分散させることに成功している。さらにトランプ氏とプーチン氏の間で「米国がウクライナへの情報提供を止める代わりにロシアもイランへの提供を止める」という取引が行われた可能性を教授は示唆する。ロシアにとってこれはウクライナ戦線で有利な交換条件だ。
📊 米国の覇権衰退リスク:ペイプ教授は2009年に「米国が世界唯一の超大国である時代は終わりに近い」と予測した。現在、40兆ドルの財政赤字・関税による貿易パートナーの離反・中東での消耗という三重苦が重なり、米国の覇権的地位は急速に侵食されつつある。
ペイプ教授の最大の警告:国内の政治的暴力
イランより深刻な問題として、ペイプ教授は米国内の政治的暴力の正常化を挙げる。これが教授の次著『Our Own Worst Enemies(われわれ自身が最大の敵)』のテーマだ。
1960年代以来最大規模の暴力的暴動・政治的暗殺の急増。右派・左派の双方で見られる現象だ。
シカゴでは「オペレーション・ミッドウェイ・ブリッツ」として大規模な軍事的移民取締が実施された。その後ミネアポリスでさらに大規模な展開が続いた。
総合評価:今、私たちは何を理解すべきか
40年の研究と20年のシミュレーションが示すのは、「軍事的成功」と「戦略的成功」の間には埋めがたい溝があるという事実だ。米国はベトナムで一度も戦闘に負けなかったが、戦争に負けた。イランでも同じ構図が進行している。
✓ 外交的解決を急ぐべき人
- 中東情勢が日本のエネルギー安全保障に直結することを理解している人
- 軍事的成功と戦略的成功の違いを理解したい人
- 米国覇権の変化が世界秩序に与える長期的影響を考えたい人
✗ まだ過小評価していること
- 「爆撃成功=問題解決」という単純思考
- イランの核物質が依然として行方不明であるという事実
- 新最高指導者が核抑制の歯止めを持たないリスク
- 中国が静かにAI・技術覇権を拡大していること
ペイプ教授の最終提言:完全な安全保障は存在しない。20年間問題を凍結できるなら、それは大きな成果だ。ソビエト連邦は予期せず崩壊した。あらゆる問題を力で解決しようとすることが、大国が戦争に負ける最大の原因だ。
出典:
ロバート・ペイプ教授(シカゴ大学)インタビュー “The Diary of a CEO with Steven Bartlett” — 本記事はその主要論点を翻訳・再構成したものです。
本記事について:本記事はThe Diary of a CEO (Steven Bartlett)による公開インタビュー映像をもとに、ロバート・ペイプ教授の主張を日本語に翻訳・編集・再構成したものです。本記事はペイプ教授・番組とは独立した独自の解説記事です。